桜木紫乃「ラブレス」

ラブレス

ラブレス

馬鹿にしたければ笑えばいい。あたしは、とっても「しあわせ」だった。風呂は週に一度だけ。電気も、ない。酒に溺れる父の暴力による支配。北海道、極貧の、愛のない家。昭和26年。百合江は、奉公先から逃げ出して旅の一座に飛び込む。「歌」が自分の人生を変えてくれると信じて。それが儚い夢であることを知りながら―。他人の価値観では決して計れない、ひとりの女の「幸福な生」。「愛」に裏切られ続けた百合江を支えたものは、何だったのか?今年の小説界、最高の収穫。書き下ろし長編。


ラストの美しさといったらなかった。
涙がとまらなかった。


このタイトルと、上のあらすじだけだったら、たぶん読もうと思わなかった本。ただ、ツイッターで流れてきたレビューがかなり気になったので買ってみた(新潮社のアカウントをフォローしているから良いツイートがRTされてくるだけのことだが…)。でも、読んでよかった。小説のなかに「自分」を見いだして、そのことを書き留めておこうと思わされる数少ない一冊となった。


主人公の百合江とその妹、母親、娘たちという3世代にわたる女たちの物語。私は、とにかく百合江に圧倒的なシンパシーを感じてしまった。彼女の人生と私の人生はどこにも似た部分などないけれど、なるようになれ、という風まかせの根なし草的な生き方に対して。実際、なぜなのかなと思う。私自身は生い立ちからしたら、平均的なサラリーマンの父親と専業主婦の母親のあいだに生まれ、苦労らしい苦労もすることなく育ち(少なくとも大人になるまでは)(それと思春期のアメリカ生活を別にすれば)、両親もリベラルなほうではあるだろうけどごく普通の人たちなのに、どうしてこれほど安定志向や同調志向がないのかと思ったりもする。転勤の多いサラリーマン家庭だからこそ、土地に執着しないというのはあるだろうけど。


「幸不幸は自分のなかにある」
私のなかには幼い頃からそういう感覚が根づいていて、自分がなんだか楽しく毎日を過ごしていられるのはそのせいだと思ったりもするのだけど、この小説のテーマは一言で言えばそういうことだと思う。

どんなに不幸に見えるときも、みんなそのときそのときで精いっぱいだった。幸不幸など、過ぎ去ってから思い出す遠くの景色のようなものかもしれない。


百合江とは対照的に、現実的でしっかり者の妹の里美は、姉のそういう「なるようになれ」な生き方を嫌い、心配しながらも、もっと先のことを考えて行動しろとうるさくいう。それに対して百合江は、そんな数年後のことなど考えられない、今日を含めた2、3日、せいぜい1週間後ぐらいのことしか考えていないと答えるんだけど、私もつねづねそれが楽しく生きる秘訣だと思っている。そんなこと言ったって、年老いてお金も家族もなくて、孤独で病気になったらどうするんだ、っていうのももちろん当然のことだし、私だってそれが怖くないわけではないけど、でもやっぱり、だって明日どうなるかさえわからないのに、そんな先のこと考えたってしょうがないと思ってしまう。だけど、人生を謳歌している人って、たいがいそっちだと思うんだよね。ミック・ジャガーもそんなようなことを言っていた(笑)。それは、「刹那的」というのとはまたちょっと違う意味で。


実際に起こったことだけを見て、いわゆる世間の物さしではかったとしたら、百合江は不幸だったということになるのだろうが、でもそんなことは彼女にしかわからない。その人にしかわからない。一方で、きっと彼女は最後とても幸福そうなきれいな顔をしていただろうと確信させられる。それがこの小説のすごいところだなと思う。少なくとも、私は読み終わって浄化されたような、清々しい気持ちになった。そしてもうひとり、とても印象的なのが百合江の母のハギという人で、それこそ生まれてこのかた大切にされたことなどないような境遇に思えるのだが、やはり最後になって、ハギもまたけっして不幸ではなかったのだと思わせてくれる。

現代に生きる娘たちが、彼女たちには「開拓者の血が流れている」というところの文章がすごく好きだ。

その血は祖母から百合江へと受け継がれ、生まれた場所で骨になることにさほどの執着心を持たせない。それでいて今いる場所を否定も肯定もしない。どこへ向かうのも、風のなすままだ。(中略)からりと明るく次の場所へ向かい、あっさりと昨日を捨てることができる。捨てた昨日を、決して惜しんだりはしない。


小説を読みながら「ここにいるのは自分だ」と、最後に強くそう思ったのが水村美苗の『本格小説』で、あのときも読み終わって何かをどうしても書いておきたいと思った。だからなのか、『ラブレス』を読み終えたとき、別に内容的にシンクロするわけではないのに、『本格小説』のことを思い浮かべていた。それで今回このブログを書くにあたって、桜木紫乃さんの作品を読むのも初めてだし、どういう人なのかも知らなかったので、あれこれ調べていたら、まず同い年だったということでなんとなく納得。さらに、「WEB本の雑誌」の作家の読書道 第118回:桜木紫乃さん - 作家の読書道を読んでいたら、衝撃の事実が発覚(それは大げさ)。なんと、『ラブレス』を書く前に、編集者から『本格小説』を薦められてどっぷりはまり、執筆中もずっとそばに置いていらしたというのですよ。だからやっぱり何となく自分の好きなものというか、感覚というのはリンクするものなんだなあと感動とともに思った次第。


あと、これは本当に余談だけど、『ラブレス』を読んでいる時期とアルバム発売が重なったこともあって、おもに北海道と東北を舞台に旅芸人の世界が描かれたこの小説は、私のなかでは吉井和哉の『母いすゞ』にも結びついて、なおさら色濃い印象を残すことになった。